CCN 寺子屋
国語の間へ戻る
五十二

故事成語・五十二 過ぎたるは猶及ばざるが如しすぎたるはなおおよばざるがごとし

行きすぎも、足りないのも、同じこと。

いまのことば

過ぎたるは猶及ばざるが如しの意味と使い方は?

物事は、やりすぎても、足りないのと同じように、よくないということ。ちょうどよいところが大切だという教え。

ことばの景色

孔子の弟子の子貢が、あるとき先生にたずねました。「子張と子夏では、どちらがすぐれていますか」。孔子は、「子張はやりすぎるところがあり、子夏は足りないところがある」と答えました。

子貢は、「それなら子張のほうがまさっているのですね」と重ねてたずねます。すると孔子は、「やりすぎは、足りないのと同じようなものだ」と答えました。多ければよい、強ければよい、というわけではない、という教えです。

「猶」は「ちょうど〜のように」、「及ばざる」は「届かない、足りない」という意味です。いまでも、勉強や運動、食べる量など、いろいろな場面で使われます。

たとえば、「テストの前の日に夜おそくまで勉強したら、当日ねむくて問題がよく読めなかった。過ぎたるは猶及ばざるが如しだ」のように使います。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——孔子の教えには、かたよらずちょうどよいところを大切にする「中庸」という考え方があります。このことばは、その考え方をよくあらわす一節として知られています。
原文について
この記事が扱っている『故事成語』は、中国の古典に由来する言い回し。論語・先進篇で、弟子の子貢が子張と子夏のどちらがすぐれているかをたずね、孔子が答えた言葉。
原文はhttps://zh.wikisource.org/wiki/論語/先進第十一で確認できます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。意味や使い方は、国語辞典でもお確かめください。
前へ次へ