四十一
故事成語・四十一 髀肉の嘆
ふとももに、また肉がついた。
『三国志』より
いまのことば
髀肉の嘆の意味と由来は?
実力を発揮する機会がなく、むなしく時を過ごすことへの嘆き。
ことばの景色
劉備は、戦がしばらく無かったころ、久しぶりに自分の髀(ふともも)を見て涙を流したといいます。かつて馬に乗り続けていたころはついていなかった肉が、久しく戦から遠ざかったせいで、ふとももについてしまっていたからです。
「髀肉のいたずらに生ずるを悲しむ」——『三国志』に伝わる劉備の嘆きです。
「髀肉の嘆」は、この話から、実力を発揮する機会がなく、むなしく時を過ごすことへの嘆きを指す言葉になりました。
考えてみよう
- 問一力を発揮する機会がなく、もどかしい思いをしたことはありますか。
- 問二劉備はなぜ、ふとももの肉を見て涙を流したのでしょう。
- 問三「時が来るのを待つ」ことと「機会をつくる」こと、どちらも大切なのはなぜでしょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——「髀肉の嘆」のような故事成語は、二千年以上前の中国の書物にある一場面が、そのまま毎日使うことばになったものです。物語ごと覚えると、忘れず、使いどころも間違えません。
原文について
この記事が扱っている
『故事成語』は、中国の古典に由来する言い回し。この回のもとの話は『三国志』に記されています。
もとの話を載せる『三国志』の版本は、
国立公文書館 デジタルアーカイブ『三国志』(内閣文庫蔵・明万暦刊)で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。
表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。