東海道・四日市宿
宮から桑名へ七里。四日市へは十里の航路もありました。
お子さんと保護者の方へ。東海道・四日市宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の四日市宿とは?
四日市は東海道の四十三番目の宿場。
宮宿との間に「十里の渡し」があった。
宮宿との間に「十里の渡し」があった。
もう一つの海の道
宮から桑名への「七里の渡し」は有名ですが、宮から四日市への「十里の渡し」もありました。風や潮の具合で、行き先を選べたということです。舞坂の今切の渡しとあわせて、東海道の海路は思ったより柔軟でした。
四日市は幕府の直轄地で、代官所が置かれました。二川と同じく天領です。天保の記録では宿内の人口七千百十四人、総家数千八百十一軒、本陣二・脇本陣一・旅籠九十八。沼津の旅籠五十五軒と比べると、かなり大きい宿場です。
「四日市」という名は四のつく日に市が立ったことに由来するとされます。池鯉鮒の馬市と同じで、市が町を作り、町の名前になった例です。
考えてみよう
- 問一あなたの町に、市に由来する地名はありますか。
- 問二七里と十里。キロメートルに直してみましょう(一里=約四キロ)。
- 問三船の行き先を選べることの利点を考えてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——一里はおよそ三・九キロ。七里の渡しは約二十七キロ、十里の渡しは約三十九キロ。戸塚で見た「一日の歩行距離」と比べてみてください。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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