東海道・二川宿
猿ヶ馬場という名の松原。三河国に入って最初の宿場です。
お子さんと保護者の方へ。東海道・二川宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の二川宿とは?
二川は東海道の三十三番目の宿場。
三河国の最も東の宿場町だった。
三河国の最も東の宿場町だった。
天領という立場
二川は将軍家の直轄地(天領)でした。四日市も同じく天領で、代官所が置かれました。大名の領地ではなく、幕府が直接治める土地) ——街道ぞいには、そういう宿場がいくつもありました。
広重の題は「猿ヶ馬場」。松の生えた原を、旅人が行く構図です。御油の松並木、江尻の三保の松原——東海道は松の道でもありました。
街道に松を植えたのには理由があります——夏は日陰、冬は風よけ、そして道筋の目印。植えられた木は、たいてい役に立つために植えられています。江尻の松原と同じ考え方です。
考えてみよう
- 問一並木が道にもたらすものを、四つ挙げてみましょう。
- 問二あなたの町の並木の木の種類を調べてみましょう。
- 問三幕府が直接治める土地を持った理由を考えてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——二川には本陣の建物が残り、資料館として公開されています。草津の本陣と同じく、大名が泊まった部屋を実際に見られる宿場) です。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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