東海道・宮宿
東海道は、ぜんぶ歩くのではありません。宮の宿から桑名までは海の上——「七里の渡し」と呼ばれる、東海道でただひとつの海路でした。
お子さんと保護者の方へ。東海道・宮宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の宮宿とは?
宮宿は熱田神宮の門前町で、東海道最大級の宿場。
ここから桑名までは船で渡る「七里の渡し」だった。
ここから桑名までは船で渡る「七里の渡し」だった。
海の上の街道
宮宿(いまの名古屋市熱田区)は、三種の神器のひとつ草薙剣をまつる熱田神宮の門前町。旅籠の数は東海道でも最大級で、参拝客と旅人でにぎわいました。
そしてここが、東海道の特異点です。次の桑名宿へは陸路ではなく、海路七里(およそ27キロ)を船で渡るのが正式ルート。木曽三川が生む広大な河口デルタを歩いて越えるのは難しかったからです。
船は潮と風しだい。順調なら数時間、荒れれば欠航——大井川の「川留め」と同じく、自然が旅の日程を握っていました。船上から見る海と伊勢の山なみは、歩き続けた旅人にとって、またとない骨休めでもあったはずです。
考えてみよう
- 問一地図で宮から桑名までの海路と、陸回りの道を比べてみましょう。なぜ船だったのでしょう。
- 問二「歩く街道」に「船の区間」があると、旅の計画はどう変わるでしょう。
- 問三熱田神宮とその門前町の関係を、ほかの門前町(三島・成田など)と比べてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——「七里の渡し」の跡は、宮側・桑名側の両方に碑が残っています。名古屋名物のひつまぶしやきしめんも、この宿場町のにぎわいの中で育った食文化と言われます。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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