五十一
東 海 道 ・ 藤 川 宿
宿場の出入口を「棒鼻」といいました。そこにはいつも、何かが立っています。
いまのことば
藤川は東海道の三十七番目の宿場。
広重の題は「棒鼻ノ図」。
宿場の入口という場所
「棒鼻」は宿場の出入口のこと。そこには高札(おふれの看板)や並木、見附の石垣が置かれました。町の始まりと終わりを、はっきり示す——藤沢の「江戸方見附」「上方見附」も同じ仕組みです。
広重の絵では、大名行列が通るのを、土下座して見送る人々が描かれています。街道は誰のものだったか、を考えさせる一枚) 。藤枝で見たとおり、東海道はもともと幕府の公用の道でした。
藤川は次の岡崎の手前の小さな宿場です。大きな城下町の手前に、小さな宿がある。小田原の前の大磯、岡崎の前の藤川) ——大きな町の前後には、たいてい控えめな宿場があります。
考えてみよう
- 問一あなたの町の「入口」はどこでしょう。地図で考えてみましょう。
- 問二看板や石碑が町の境に立つ理由を考えてみましょう。
- 問三大きな町の手前に小さな町がある例を探してみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——
高札場は、幕府の決まりを知らせる掲示板でした。
日坂のところでも
触れたとおり、
どの宿場にも必ず一つ置かれていました。