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十九

東 海 道 ・ 日 坂 宿

箱根はこね鈴鹿すずかとならぶ東海道の三大難所なんしょ。峠には、千年ものあいだ歌にまれてきた名前がついています。

いまのことば

日坂にっさかは東海道の二十五番目の宿場。
その東にひかえる小夜さよの中山が、旅人の関門かんもんだった。

高さではなく、起伏

小夜さよの中山の最高点さいこうてん標高ひょうこう二五二メートル。数字だけ見れば、ちいさな丘です。ところが東海道は、ここで登って、下りて、また登る。荷をかついだ足にこたえるのは標高ひょうこうではなく起伏きふく回数かいすうでした。箱根はこね鈴鹿すずかとならぶ三大難所なんしょと呼ばれたのは、そのためです。

広重の「日坂にっさか 佐夜さやノ中山」に大きく描かれているのは、坂道のまん中にある石。夜泣よなき石と呼ばれ、夜になると声を上げたという話が語り継がれてきました。峠にはたいてい、こうした話がついてきます。足がとまる場所には、物語ものがたりがたまる。

この峠は歌枕うたまくらでもありました。西行さいぎょう法師ほうしの一首——「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜さよの中山」(年をとって、もう一度この峠を越えられるとは思わなかった。生きていればこそだ)。六十を過ぎてからの二度目の陸奥みちのくへの旅で、ふたたびこの峠を越えたときの一首と伝わります。歌碑かひがいまも峠に立っています。国語の間のことばと、この街道は同じ土の上でつながっています。

宿場としての日坂にっさかはちいさく、江戸後期こうきの記録で家数百六十八けん、人口七百五十人ほど。名物は蕨餅わらびもちでした。峠のふもとで甘いものを食べてから登る——にかなった売り方です。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——明治に入ると、峠を越えずにさわぞいを行く新しい道(中山新道なかやましんどう)が開かれ、鉄道てつどうも峠をけて通りました。難所なんしょは、道が変われば、ただの丘にもどります。いまの小夜さよの中山は、きゅう東海道を歩く人のためのしずかな茶畑ちゃばたけの道です。
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