東海道・日坂宿
箱根・鈴鹿とならぶ東海道の三大難所。峠には、千年ものあいだ歌に詠まれてきた名前がついています。
お子さんと保護者の方へ。東海道・日坂宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の日坂宿とは?
日坂は東海道の二十五番目の宿場。
その東にひかえる小夜の中山が、旅人の関門だった。
その東にひかえる小夜の中山が、旅人の関門だった。
高さではなく、起伏
小夜の中山の最高点は標高二五二メートル。数字だけ見れば、ちいさな丘です。ところが東海道は、ここで登って、下りて、また登る。荷を担いだ足にこたえるのは標高ではなく起伏の回数でした。箱根・鈴鹿とならぶ三大難所と呼ばれたのは、そのためです。
広重の「日坂 佐夜ノ中山」に大きく描かれているのは、坂道のまん中にある石。夜泣き石と呼ばれ、夜になると声を上げたという話が語り継がれてきました。峠にはたいてい、こうした話がついてきます。足がとまる場所には、物語がたまる。
この峠は歌枕でもありました。西行法師の一首——「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」(年をとって、もう一度この峠を越えられるとは思わなかった。生きていればこそだ)。六十を過ぎてからの二度目の陸奥への旅で、ふたたびこの峠を越えたときの一首と伝わります。歌碑がいまも峠に立っています。国語の間のことばと、この街道は同じ土の上でつながっています。
宿場としての日坂はちいさく、江戸後期の記録で家数百六十八軒、人口七百五十人ほど。名物は蕨餅でした。峠のふもとで甘いものを食べてから登る——理にかなった売り方です。
考えてみよう
- 問一高さより「登り下りの回数」がこたえるのはなぜでしょう。
- 問二通学路でいちばん息が上がる場所はどこですか。地図で高低差を調べてみましょう。
- 問三峠や坂に言い伝えが生まれやすいのは、なぜだと思いますか。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——明治に入ると、峠を越えずに沢ぞいを行く新しい道(中山新道)が開かれ、鉄道も峠を避けて通りました。難所は、道が変われば、ただの丘にもどります。いまの小夜の中山は、旧東海道を歩く人のための静かな茶畑の道です。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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