小夜の中山の最高点は標高二五二メートル。数字だけ見れば、ちいさな丘です。ところが東海道は、ここで登って、下りて、また登る。荷を担いだ足にこたえるのは標高ではなく起伏の回数でした。箱根・鈴鹿とならぶ三大難所と呼ばれたのは、そのためです。
広重の「日坂 佐夜ノ中山」に大きく描かれているのは、坂道のまん中にある石。夜泣き石と呼ばれ、夜になると声を上げたという話が語り継がれてきました。峠にはたいてい、こうした話がついてきます。足がとまる場所には、物語がたまる。
この峠は歌枕でもありました。西行法師の一首——「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」(年をとって、もう一度この峠を越えられるとは思わなかった。生きていればこそだ)。六十を過ぎてからの二度目の陸奥への旅で、ふたたびこの峠を越えたときの一首と伝わります。歌碑がいまも峠に立っています。国語の間のことばと、この街道は同じ土の上でつながっています。
宿場としての日坂はちいさく、江戸後期の記録で家数百六十八軒、人口七百五十人ほど。名物は蕨餅でした。峠のふもとで甘いものを食べてから登る——理にかなった売り方です。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。