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二十四

東 海 道 ・ 藤 沢 宿

宿場になるまえから、ここはてら門前町もんぜんまちでした。そしてはしのたもとから、江の島えのしま一里いちりみちかれます。

いまのことば

藤沢ふじさわは東海道の六番目の宿場。
慶長けいちょう六年(一六〇一年)に宿場となった。

道より先に、寺があった

広重が藤沢ふじさわあたえただいは「遊行寺ゆぎょうじ」。背景はいけいおおきくえがかれているのが清浄光寺しょうじょうこうじ——通称つうしょう遊行寺ゆぎょうじ」です。藤沢ふじさわは東海道の宿場になるまえから、このてら門前町もんぜんまちとしてさかえていました。みちまちを作ったのではなく、まちがあったところにみちのです。

宿しゅくなか境川さかいがわながれ、大鋸橋だいぎりばし(いまの遊行寺ゆぎょうじばし)がかっていました。このはし京都きょうとがわ江島神社えのしまじんじゃいち鳥居とりいち、そこから江の島えのしまみちかれます。江の島えのしままでおよそ一里いちり(約四キロ)。街道の旅人たびびとが、ここでみちめたのです。

かれみちは、宿場しゅくばふとらせます。川崎かわさき大師だいしへの参詣道さんけいみち草津くさつ中山道なかせんどうとの追分おいわけ、そして藤沢ふじさわ江の島えのしまへの入口いりぐち東海道とうかいどうにぎわう宿しゅくには、たいていもう一本のみちがついています。

幕末ばくまつには旅籠はたごが七十けん以上いじょう。また藤沢ふじさわには、宿場しゅくばができるまえから藤沢ふじさわ御殿ごてんという将軍家しょうぐんけ宿泊しゅくはく施設しせつがありました。敷地しきちは六千つぼにおよんだとされ、徳川家康とくがわいえやす秀忠ひでただ家光いえみつが三十かいちか使つかっています。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——江の島えのしまみちには、いまも要所ようしょ道標どうひょうのこっています。案内あんないいしは、みちわってもうごきません。鉄道てつどうあたらしい道路どうろができて江の島えのしまみちしずかになりましたが、いしをたどればむかし道筋みちすじいまめます。
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