東海道・藤沢宿
宿場になる前から、ここは寺の門前町でした。そして橋のたもとから、江の島へ一里の道が分かれます。
お子さんと保護者の方へ。東海道・藤沢宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の藤沢宿とは?
藤沢は東海道の六番目の宿場。
慶長六年(一六〇一年)に宿場となった。
慶長六年(一六〇一年)に宿場となった。
道より先に、寺があった
広重が藤沢に与えた題は「遊行寺」。絵の背景に大きく描かれているのが清浄光寺——通称「遊行寺」です。藤沢は東海道の宿場になる前から、この寺の門前町として栄えていました。道が町を作ったのではなく、町があったところに道が来たのです。
宿の真ん中を境川が流れ、大鋸橋(いまの遊行寺橋)が架かっていました。この橋の京都側に江島神社の一の鳥居が立ち、そこから江の島道が分かれます。江の島までおよそ一里(約四キロ)。街道の旅人が、ここで寄り道を決めたのです。
分かれ道は、宿場を太らせます。川崎は大師への参詣道、草津は中山道との追分、そして藤沢は江の島への入口。東海道の賑わう宿には、たいていもう一本の道がついています。
幕末には旅籠が七十軒以上。また藤沢には、宿場ができる前から藤沢御殿という将軍家の宿泊施設がありました。敷地は六千坪におよんだとされ、徳川家康・秀忠・家光が三十回近く使っています。
考えてみよう
- 問一あなたの町で、道より先にあったものは何でしょう。寺・川・港——地図で考えてみましょう。
- 問二寄り道したくなる分かれ道は、どんな条件がそろったときでしょう。
- 問三一里は約四キロ。自分の家から四キロの場所を地図で探してみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——江の島道には、いまも要所に道標が残っています。案内の石は、道が変わっても動きません。鉄道と新しい道路ができて江の島道は静かになりましたが、石をたどれば昔の道筋が今も読めます。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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