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二十一

東 海 道 ・ 岡 崎 宿

徳川家康とくがわいえやすが生まれた城下町じょうかまち。広重がえがいたのは、江戸の時代に日本でいちばんながかったはしです。

いまのことば

岡崎おかざきは東海道の三十八番目の宿場。
矢作やはぎ川にかかる矢作やはぎばしは、徳川とくがわの日本でいちばん長いはしだった。

なぜ、ここには橋があるのか

慶長けいちょう六年(一六〇一年)、矢作やはぎ川に土橋どばしけられました。広重の一枚「矢矧之橋やはぎのはし」にえがかれているのが、このはしです。江戸の時代を通じて、日本でいちばん長いはしでした。

ここで不思議ふしぎに思ってほしいのです。大井川にははしがなく、六郷ろくごうではながされたはしなおさなかった。それなのに、なぜ岡崎おかざきにはながはしゆるされたのか。

こたえは城下町じょうかまちです。岡崎おかざき徳川家康とくがわいえやすが生まれたしろまち石高こくだかは五万ごくでも、宿場の規模きぼは東海道で府中ふちゅう宿におおきさでした。はしけるかどうかは、土地とちおもみでまったのです。

そしてもうひとつ、岡崎おかざきには有名ゆうめい仕掛しかけがあります。岡崎おかざき二十七まが——街道が城下じょうか何度なんど直角ちょっかくがるのです。まっすぐとおせばはやい。げればまもりやすい。城下じょうかの道は、旅人の便利べんりさよりしろ安全あんぜんさきかんがえて設計せっけいされました。いまも道順みちじゅんがたどれるようにととのえられていて、あるけば江戸の設計せっけいかんがかたあしかります。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——矢作やはぎばしには、わかいころの豊臣秀吉とよとみひでよし蜂須賀小六はちすかころく出会であったというはなしつたわり、ぞうっています。ただし戦国せんごくのころの矢作やはぎ川にはまだはしがなく、江戸時代に作られたはなしと考えられています。名場面めいばめんには、あとから舞台ぶたいがつくこともあります。なおはしひがし八帖町はっちょうちょう八丁味噌はっちょうみそ産地さんちで、いまもはしのたもとに味噌みそかおりがただよいます。
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