東海道・岡崎宿
徳川家康が生まれた城下町。広重が描いたのは、江戸の時代に日本でいちばん長かった橋です。
お子さんと保護者の方へ。東海道・岡崎宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の岡崎宿とは?
岡崎は東海道の三十八番目の宿場。
矢作川にかかる矢作橋は、徳川の世の日本でいちばん長い橋だった。
矢作川にかかる矢作橋は、徳川の世の日本でいちばん長い橋だった。
なぜ、ここには橋があるのか
慶長六年(一六〇一年)、矢作川に土橋が架けられました。広重の一枚「矢矧之橋」に描かれているのが、この橋です。江戸の時代を通じて、日本でいちばん長い橋でした。
ここで不思議に思ってほしいのです。大井川には橋がなく、六郷では流された橋を架け直さなかった。それなのに、なぜ岡崎には長い橋が許されたのか。
答えは城下町です。岡崎は徳川家康が生まれた城の町。石高は五万石でも、宿場の規模は東海道で府中宿に次ぐ大きさでした。橋を架けるかどうかは、土地の重みで決まったのです。
そしてもうひとつ、岡崎には有名な仕掛けがあります。岡崎二十七曲り——街道が城下で何度も直角に折れ曲がるのです。まっすぐ通せば速い。曲げれば守りやすい。城下の道は、旅人の便利さより城の安全を先に考えて設計されました。いまも道順がたどれるように整えられていて、歩けば江戸の設計の考え方が足で分かります。
考えてみよう
- 問一まっすぐな道と曲がった道。守る側に曲がった道が有利なのはなぜでしょう。
- 問二あなたの町に、わざと曲げてあるように見える道はありますか。地図で探してみましょう。
- 問三橋を架ける/架けない。何を基準に決めたのだと思いますか。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——矢作橋には、若いころの豊臣秀吉が蜂須賀小六と出会ったという話が伝わり、像も立っています。ただし戦国のころの矢作川にはまだ橋がなく、江戸時代に作られた話と考えられています。名場面には、あとから舞台がつくこともあります。なお橋の東の八帖町は八丁味噌の産地で、いまも橋のたもとに味噌の香りがただよいます。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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