東海道・原宿
富士山にいちばん近づくあたり。広重は、画面からはみ出すほど大きく描きました。
お子さんと保護者の方へ。東海道・原宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の原宿とは?
原は東海道の十三番目の宿場。
広重の題は「朝之富士」。
広重の題は「朝之富士」。
枠からはみ出す富士
原の絵では、富士山の頂上が枠の上に突き抜けています。絵の約束事をわざと破ることで、大きさを伝えた——広重の工夫です。実際、原のあたりは東海道で富士に最も近づく区間の一つです。
宿場になる前、このあたりは「浮島ヶ原」と呼ばれた湿地でした。水の多い土地を通すのは、街道づくりの難しさの一つ。日坂の峠、島田の大河、そしてここの湿地。難所は山だけではありません。
吉原・蒲原・由比と、このあたりは富士を見る宿場が続きます。見る角度も、時刻も、季節も違う。同じ山を何枚も描き分けるのが、五十三次の面白さです。
考えてみよう
- 問一大きさを伝える絵の工夫を、三つ考えてみましょう。
- 問二湿地に道を通すには、どんな工事が必要でしょう。
- 問三五十三次から富士が描かれた絵を集めて、見える向きを比べてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——浮島ヶ原は歌にも詠まれた土地で、「うき」の音が憂きに通うことから恋の歌にも使われました。地名が歌のことばになる——国語の間の歌枕と同じ仕組みです。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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