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東海道・吉原宿

江戸から京きょうへ向むかえば、富士山ふじさんは右手みぎてにあるはず。ところがこの宿しゅくの先さきだけ、左手ひだりてに見みえます。

お子さんと保護者の方へ。東海道・吉原宿を、いっしょに確かめましょう。

いまのことば

東海道の吉原宿とは?

吉原よしわらは東海道の十四番目の宿場。
広重がこの宿しゅくに与あたえた題だいは「左富士ひだりふじ」。

なぜ、富士が左に来たのか

答こたえは、街道かいどうそのものが動うごいたからです。吉原よしわら宿しゅくは、はじめ海うみの近ちかくにありました。ところが寛永かんえい十六年(一六三九年)の高潮たかしおで大おおきな被害ひがいを受うけ、内陸ないりくへ移うつります。それでも延宝えんぽう八年(一六八〇年)にふたたび高潮たかしおにあい、天和てんな元年がんねん(一六八一年)にいまの場所ばしょへ移うつりました。

宿しゅくが動うごけば、道みちも動うごきます。この移転いてんで、海うみぞいを通とおっていた東海道は北きたの内陸ないりくへ大おおきく湾曲わんきょくしました。道みちが曲まがったぶん、旅人たびびとの体からだの向むきも変かわる。それまで右手みぎてに見みえていた富士ふじが、この区間くかんだけ左手ひだりてに現あらわれる——これが「左富士ひだりふじ」です。

災害さいがいが町まちを動うごかし、町まちが道みちを動うごかし、道みちが景色けしきを変かえた。三みっつの出来事できごとが一いち本につながっています。そして最後さいごに生うまれたのが、名所めいしょでした。地図ちずの上うえで道みちの向むきをたどれば、絵えの理由りゆうが分わかります。

吉原よしわらは富士山ふじさんへの登山道とざんどうに向むかう玄関口げんかんぐちでもありました。由比ゆいの薩埵峠さったとうげ、国語こくごの間ま・田子たごの浦うら——このあたりは、街道かいどうと和歌わかの両方りょうほうが富士ふじを見みている場所ばしょです。

考えてみよう

  • 問一地図ちずで東海道の吉原よしわら付近ふきんをたどり、道みちがどちらへ曲まがるか確たしかめてみましょう。
  • 問二あなたの通学路つうがくろで、同おなじ建物たてものが左右さゆう入いれかわって見みえる場所ばしょはありますか。
  • 問三災害さいがいのあとに町まちを移うつすとき、何なにを一番いちばん大切たいせつに考かんがえるべきでしょう。

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——「左富士ひだりふじ」と呼よばれた場所ばしょは東海道とうかいどうに複数ふくすうあり、茅ヶ崎ちがさきの南湖なんごにも残のこっています。中山道なかせんどうにも「左富士ひだりふじ」の地点ちてんがありました。道みちが曲まがるところには、たいてい名前なまえがついています。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。

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