二十五
東 海 道 ・ 吉 原 宿
江戸から京へ向かえば、富士山は右手にあるはず。ところがこの宿の先だけ、左手に見えます。
いまのことば
吉原は東海道の十四番目の宿場。
広重がこの宿に与えた題は「左富士」。
なぜ、富士が左に来たのか
答えは、街道そのものが動いたからです。吉原宿は、はじめ海の近くにありました。ところが寛永十六年(一六三九年)の高潮で大きな被害を受け、内陸へ移ります。それでも延宝八年(一六八〇年)にふたたび高潮にあい、天和元年(一六八一年)にいまの場所へ移りました。
宿が動けば、道も動きます。この移転で、海ぞいを通っていた東海道は北の内陸へ大きく湾曲しました。道が曲がったぶん、旅人の体の向きも変わる。それまで右手に見えていた富士が、この区間だけ左手に現れる——これが「左富士」です。
災害が町を動かし、町が道を動かし、道が景色を変えた。三つの出来事が一本につながっています。そして最後に生まれたのが、名所でした。地図の上で道の向きをたどれば、絵の理由が分かります。
吉原は富士山への登山道に向かう玄関口でもありました。由比の薩埵峠、国語の間・田子の浦——このあたりは、街道と和歌の両方が富士を見ている場所です。
考えてみよう
- 問一地図で東海道の吉原付近をたどり、道がどちらへ曲がるか確かめてみましょう。
- 問二あなたの通学路で、同じ建物が左右入れかわって見える場所はありますか。
- 問三災害のあとに町を移すとき、何を一番大切に考えるべきでしょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——「左富士」と呼ばれた場所は東海道に複数あり、茅ヶ崎の南湖にも残っています。中山道にも「左富士」の地点がありました。道が曲がるところには、たいてい名前がついています。