百人一首・二十五番 三条右大臣
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人にしられで くるよしもがななにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな
人にしられで くるよしもがななにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな
お子さんと保護者の方へ。百人一首・二十五番 三条右大臣を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
名にしおはば逢坂山のさねかづらの意味は?
「逢う」という名を持っているのなら、
逢坂山の「さねかづら」のつるをたぐるように、
人に知られずにあなたのもとへ行く、そんな手立てがほしい。
逢坂山の「さねかづら」のつるをたぐるように、
人に知られずにあなたのもとへ行く、そんな手立てがほしい。
ことばの景色
この一首は、地名と植物と動作が、ひとつの音でつながっています。「逢坂」は「逢う坂」。「くる」は「来る」と、つるを「繰る(たぐり寄せる)」の両方。つるをたぐれば手元に来る——という実さいの動きが、「会いに行きたい」という気持ちに重ねてあります。
「さねかづら」は実葛。山地に生える常緑のつる植物で、秋に赤い実が球のように集まってつきます。つるから採れる粘液は、昔は整髪料に使われ、そこから「美男葛」という別名もあります。『万葉集』にも何度も詠まれた、生物の間向きの草です。
逢坂山は、十番の逢坂の関がある山。そして地理の間・大津宿で荷車が登っていた坂でもあります。同じ坂が、関所として、恋の歌枕として、荷物の道として、三度この寺子屋に出てきました。
『後撰和歌集』の前書きは「女につかはしける」。そして面白いのは、後撰集がこの山を「相坂山」と書いていること。十番の前書きも「相坂の関」でした。同じ本の中では、表記がそろっているのです。作者の藤原定方は三条に邸があったので「三条右大臣」と呼ばれました。
考えてみよう
- 問一つるや糸を「たぐる」動きを、気持ちのことばに言いかえてみましょう。
- 問二実葛を図鑑で調べて、実のつき方を絵にかいてみましょう。
- 問三あなたの町の地名に、意味が隠れているものはありますか。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
原文について
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
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