十六
百 人 一 首 ・ 十 六 番 中納言行平
立別れ いなばの山の 嶺におふる
まつとし聞かば 今帰り来むたちわかれ いなばのやまの みねにおふる
まつとしきかば いまかへりこむ
いまのことば
お別れして因幡の国へ行きますが、
あの山の峰に生えている「まつ」——
あなたが待っていると聞いたなら、すぐにも帰ってまいります。
ことばの景色
この一首は、ひとつの音に二つの意味を重ねる技のお手本です。「いなば」は因幡(いまの鳥取県東部)という国の名でありながら、「行ってしまえば」の意味も兼ねています。「まつ」は山に生える松と、人を待つの「待つ」。地名が、そのまま別れのことばになっているのです。
作者の在原行平は、斉衡二年(八五五年)に因幡守に任じられました。この歌は、その赴任の旅立ちのときのものとされています。都から因幡まで、当時は何日もかかる道のり。それでも「今帰り来む」——すぐ戻る、と言い切るところに、この歌の明るさがあります。
在原行平は、十七番「ちはやぶる」の在原業平の兄にあたります。また行平は、のちに須磨で静かに暮らした時期があったと『古今和歌集』は伝えています。七十八番の須磨の関守、『源氏物語』の須磨——須磨という土地は、都を離れた人の物語を集める場所でした。
『古今和歌集』では前書きが「題しらず」、作者名は「在原行平朝臣」。百人一首では「中納言行平」——後に昇った官職で呼ばれています。同じ人が、本によって違う名で並ぶのです。
考えてみよう
- 問一ひとつのことばに二つの意味を持たせた言い方を、身のまわりから探してみましょう。
- 問二遠くへ行く人に「すぐ帰る」と言われたら、どんな気持ちになりますか。
- 問三あなたの町の地名を使って、掛けことばを一つ作ってみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——因幡は、いまの鳥取県の東部です。「因幡の白兎」の神話でも知られる土地。行平が越えていった山なみは、いまも同じ場所に立っています。