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百 人 一 首 ・ 十 番 蝉丸せみまる

これや此の 行くも帰るも 別かれては
知るも知らぬも 逢坂おうさかの関これやこの ゆくもかへるも わかれては
しるもしらぬも あふさかのせき

いまのことば

これがあの、名高い逢坂おうさかの関か。
都を出て行く人も、都へ帰る人も、ここで別れ、
顔見知りも見知らぬ人も、ここですれちがう。

ことばの景色

「これや此の」は「これがあの(噂に聞いていた)」。歌は、指をさすところから始まります。行く/帰る、知る/知らぬ。反対のことばを二組ならべただけで、関所を通る人のすべてが言い表されてしまいました。

逢坂おうさかの関は、山城国やましろのくに近江国おうみのくにの境——いまの京都府と滋賀県の境にありました。東海道と東山道とうさんどう(のちの中山道なかせんどう)の二本が、そろってこの坂を越えます。都から東へ出る人は、必ずここを通りました。日本でいちばん人が行き交う一点だったのです。

そのうえ、この関の名は「逢坂おうさか」。別れの場所が「ふ坂」と呼ばれている——この取り合わせが、歌をわすれがたくしています。

後撰和歌集ごせんわかしゅう』では、この歌に前書きがついています。「相坂あうさかの関に庵室あんしつをつくりて住みはべりけるに、行きかふ人を見て」——関のそばに小屋を建てて住み、道を行き来する人をながめて詠んだ、という意味です。作者の蝉丸せみまる琵琶びわの名手として語り継がれてきた人ですが、その経歴をたしかめられる記録はほとんど残っていません。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——『枕草子まくらのそうし』は「関は」の段で、逢坂おうさかの関・須磨すまの関・鈴鹿すずかの関を挙げています。須磨すま七十八番の歌の舞台、鈴鹿すずか伊勢いせ近江おうみの境の峠——地理の間で歩いた東海道の、庄野しょうの宿のいくつか先です。関の名は、歌と街道の両方に残りました。
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