二十三
東 海 道 ・ 大 津 宿
逢坂の坂を下りたところ。東海道五十三次で最も大きな宿場で、京都はもう目の前です。
いまのことば
大津は東海道の五十三番目、最後の宿場。
五十三次のなかで、いちばん大きい宿場だった。
湖と街道が出会う港
なぜ大津がいちばん大きくなったのか。琵琶湖の水運と、東海道が出会う場所だったからです。湖を船で運ばれてきた荷は、ここで陸に上がり、車や馬に積みかえられて京都へ向かいます。物が乗りかえる場所が、いちばん賑わう。草津が「道が合わさる宿」なら、大津は「船と道が乗りかえる宿」でした。
大津から京都へは、逢坂の坂を越えます。この坂こそ、国語の間・百人一首十番の逢坂の関があった場所です。歌に詠まれた坂を、荷車が登っていた——同じ坂が、国語と地理の両方に出てきます。
そしてこの坂には、驚くべき仕掛けがありました。車石です。江戸の後期、牛車の車輪が通るところに二列、花崗岩の厚い板石が敷かれました。車道の幅は九尺(およそ二・七メートル)。真ん中に一尺(およそ三十センチ)の牛の通り道をとり、その両側に石を並べる。しかも一方通行で、午前は京都から大津へ、午後は大津から京都へ。鉄道ができる前に、坂道にレールを敷いていたのです。
広重がこの宿に描いたのは「走井茶店」。逢坂の関と髭茶屋追分のあいだに湧く清水「走井」の茶店です。その湧き水で作った走井餅が名物でした。峠の手前に清水と甘いもの。日坂の蕨餅と同じ、理にかなった商いです。大津を出て逢坂を越えれば、三条大橋。五百キロの旅は、あと一息です。
考えてみよう
- 問一「物が乗りかえる場所」が賑わうのはなぜでしょう。あなたの町ではどこでしょう。
- 問二車石は午前と午後で向きを変える一方通行でした。その理由を考えてみましょう。
- 問三坂道を重い荷車で登る工夫を、車石以外に考えてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——車石は明治になって馬車が増えると外され、石垣などに使い直されました。いまは大津駅前や市内の寺に復元・保存されていて、牛車の車輪が長年通ってついた溝を見ることができます。石に残った溝は、何万台ぶんの仕事の記録です。