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東海道・大津宿

逢坂おうさかの坂さかを下おりたところ。東海道五十三次で最もっとも大おおきな宿場で、京都はもう目めの前まえです。

お子さんと保護者の方へ。東海道・大津宿を、いっしょに確かめましょう。

いまのことば

東海道の大津宿とは?

大津おおつは東海道の五十三番目、最後さいごの宿場。
五十三次のなかで、いちばん大おおきい宿場だった。

湖と街道が出会う港

なぜ大津おおつがいちばん大おおきくなったのか。琵琶湖びわこの水運すいうんと、東海道が出会であう場所ばしょだったからです。湖みずうみを船ふねで運はこばれてきた荷には、ここで陸りくに上あがり、車くるまや馬うまに積つみかえられて京都へ向むかいます。物ものが乗のりかえる場所ばしょが、いちばん賑にぎわう。草津くさつが「道が合あわさる宿しゅく」なら、大津おおつは「船ふねと道みちが乗のりかえる宿しゅく」でした。

大津おおつから京都へは、逢坂おうさかの坂さかを越こえます。この坂さかこそ、国語こくごの間ま・百人一首十番の逢坂おうさかの関せきがあった場所ばしょです。歌に詠よまれた坂さかを、荷車にぐるまが登のぼっていた——同じ坂さかが、国語こくごと地理ちりの両方りょうほうに出てきます。

そしてこの坂さかには、驚おどろくべき仕掛しかけがありました。車石くるまいしです。江戸の後期こうき、牛車ぎっしゃの車輪しゃりんが通とおるところに二列にれつ、花崗岩かこうがんの厚あつい板石いたいしが敷しかれました。車道くるまみちの幅はばは九尺しゃく(およそ二・七メートル)。真まん中なかに一尺しゃく(およそ三十センチ)の牛うしの通とおり道をとり、その両側りょうがわに石いしを並ならべる。しかも一方通行いっぽうつうこうで、午前ごぜんは京都から大津おおつへ、午後ごごは大津おおつから京都へ。鉄道てつどうができる前まえに、坂道さかみちにレールを敷しいていたのです。

広重がこの宿に描えがいたのは「走井茶店はしりいちゃみせ」。逢坂おうさかの関せきと髭茶屋追分ひげちゃやおいわけのあいだに湧わく清水しみず「走井はしりい」の茶店ちゃみせです。その湧わき水みずで作った走井餅はしりいもちが名物めいぶつでした。峠とうげの手前てまえに清水しみずと甘あまいもの。日坂にっさかの蕨餅わらびもちと同おなじ、理りにかなった商あきないです。大津おおつを出て逢坂おうさかを越こえれば、三条大橋さんじょうおおはし。五百キロの旅たびは、あと一息ひといきです。

考えてみよう

  • 問一「物ものが乗のりかえる場所ばしょ」が賑にぎわうのはなぜでしょう。あなたの町ではどこでしょう。
  • 問二車石くるまいしは午前ごぜんと午後ごごで向むきを変かえる一方通行いっぽうつうこうでした。その理由りゆうを考かんがえてみましょう。
  • 問三坂道さかみちを重おもい荷車にぐるまで登のぼる工夫くふうを、車石くるまいし以外いがいに考かんがえてみましょう。

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——車石くるまいしは明治めいじになって馬車ばしゃが増ふえると外はずされ、石垣いしがきなどに使つかい直なおされました。いまは大津おおつ駅前えきまえや市内しないの寺てらに復元ふくげん・保存ほぞんされていて、牛車ぎっしゃの車輪しゃりんが長年ながねん通とおってついた溝みぞを見みることができます。石いしに残のこった溝みぞは、何万台なんまんだいぶんの仕事しごとの記録きろくです。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。

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