二十
百 人 一 首 ・ 二 十 番 元良親王
侘びぬれば 今はた同じ 難波なる
身をつくしても 逢はむとぞ思ふわびぬれば いまはたおなじ なにはなる
みをつくしても あはむとぞおもふ
いまのことば
思いわずらってしまった今は、どうなっても同じこと。
難波の澪標ではないけれど、
身を尽くしてでも、お会いしたいと思うのです。
ことばの景色
この歌の要は「みをつくし」の一語です。ひとつは澪標——難波の海に立てられた、船に安全な水路を知らせる杭のこと。もうひとつは「身を尽くし」——我が身をすべて使い果たしても、という意味。海に立つ目印が、そのまま覚悟のことばになりました。
『後撰和歌集』の前書きは「事いできて後に、京極御息所につかはしける」。ふたりのことが世に知られてしまったあとに送った歌、という意味です。「今はた同じ」——もう隠しようがないのだから、という開き直り。追い詰められた人の強さが、まっすぐ出た一首です。
作者の元良親王は、十三番陽成院の第一皇子。父が位をゆずったあとに生まれました。父も子も、恋の歌で百人一首に並んでいます。父は「恋は積もって淵になる」と詠み、子は「身を尽くしても」と詠んだ。
十九番も難波潟、この二十番も難波。同じ海を舞台にした二首が、続けて置かれています。百人一首は、一首ずつ読んでも、並びで読んでも味わえます。
考えてみよう
- 問一「どうなっても同じ」と思ったとき、人は強くなるでしょうか。
- 問二道や海の目印を、気持ちのことばに言いかえてみましょう。
- 問三父と子で同じことをした例を、歴史や身の回りから探してみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——澪標は、いまも大阪市の市章になっています。千年前の歌のことばが、現代の都市の旗印になっている——ことばは、ずいぶん長く旅をします。