百人一首・四十四番 中納言朝忠
逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに
人をも身をも 恨みざらましあふことの たえてしなくば なかなかに
ひとをもみをも うらみざらまし
人をも身をも 恨みざらましあふことの たえてしなくば なかなかに
ひとをもみをも うらみざらまし
お子さんと保護者の方へ。百人一首・四十四番 中納言朝忠を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
逢ふことの絶えてしなくばなかなかにの意味は?
逢うということが、いっそまったく無かったなら、
かえって、あの人のことも自分のことも
恨まずにすんだだろうに。
かえって、あの人のことも自分のことも
恨まずにすんだだろうに。
ことばの景色
「いっそ最初から無ければよかった」という言い方です。前の四十三番と並べて読むと、どちらも「逢う」ことが苦しさの始まりだと言っている。定家の並べ方は、時々こうして響き合います。
『拾遺和歌集』の前書きは「天暦の御時歌合に」。四十番・四十一番と同じ歌合の作品です。百人一首の中に、同じ催しから三首も採られている。それだけ名高い勝負だったということです。
作者の藤原朝忠は、二十五番三条右大臣=藤原定方の五男。父は「さねかづら」、子は「逢ふことの」。父子そろって、逢うことをめぐる歌で残りました。
考えてみよう
- 問一「いっそ無ければよかった」と思ったことを、反対から書いてみましょう。
- 問二同じ催しから三首。選び手は何を良いと思ったのでしょう。
- 問三百人一首の親子の組を、ここまでで何組見つけましたか。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——朝忠は「土御門中納言」または「堤中納言」と号しました。二十七番の藤原兼輔も「堤中納言」。同じ呼び名が二人いる——昔の人の名前は、住んだ場所で呼ばれることが多かったのです。
原文について
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
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