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四十五

百 人 一 首 ・ 四 十 五 番 謙徳公けんとくこう

あわれとも いふべき人は おもほえで
身のいたづらに なりぬべきかなあはれとも いふべきひとは おもほえで
みのいたづらに なりぬべきかな

いまのことば

「かわいそうに」とってくれそうな人も、
もうおもたらないまま——
わたしはこのまま、むなしくわってゆくのだろうか。

ことばの景色

拾遺和歌集しゅういわかしゅう』の前書まえがきが、事情じじょうをはっきりいています——「ものいひはべりけるおんなの、のちにつれなくはべりて、さらにはずはべりければ」。したしくしていたひとってくれなくなった、そのあとのうたです。

注目ちゅうもくしたいのは「いふべき人はおもほえで」。「わたしあわれんでくれる人がいない」ではなく、「あわれんでくれそうな人がおもかばない」。事実じじつではなく、自分じぶんあたまなかはなしとしていた——そのぶん、しずかでふかひびきになりました。

作者さくしゃの「謙徳公けんとくこう」は藤原伊尹ふじわらのこれただ摂政せっしょう太政大臣だじょうだいじんにまですすんだ人です。「謙徳公けんとくこう」はくなったあとにおくられた諡号しごう)。そして五十番藤原義孝ふじわらのよしたかは、この人の子です。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——諡号しごうは、その人の生涯しょうがいをひとことであらわした名前なまえです。「謙徳けんとく」は、へりくだったとくという意味いみうたなかひく姿勢しせいと、おくられた名前なまえかさなってえます
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