東海道・吉田宿
橋を架けることを許された川もありました。広重は、修理中の城と橋を同時に描いています。
お子さんと保護者の方へ。東海道・吉田宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の吉田宿とは?
吉田は東海道の三十四番目の宿場。
広重の題は「豊川ノ橋」。
広重の題は「豊川ノ橋」。
橋のある川、ない川
東海道には橋のある川と、ない川がありました。ないのは安倍川・大井川・天竜川。あるのは豊川・矢作川。違いは何か——川の大きさと、土地の事情) です。
広重の絵には、橋の向こうに足場を組んだ吉田城が描かれています。職人が城壁の修理をしている場面。名所ではなく、働いている人を描いた——藤枝の「人馬継立」と同じ目です。
吉田は城下町で、いまの愛知県豊橋市の中心部。二川から吉田、御油へと進みます。三河に入ると、宿場の間隔が狭くなります——御油と赤坂は、東海道で最も近い二つの宿場です。
考えてみよう
- 問一橋を架ける条件を、三つ考えてみましょう。
- 問二働いている人を描いた絵を、五十三次から探してみましょう。
- 問三地図で御油と赤坂の距離を測ってみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——吉田城のあった場所は、いまは豊橋公園になっています。城が公園に、宿場が商店街に——東海道の町は、形を変えながら続いています。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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