CCN 寺子屋
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二十二

東 海 道 ・ 土 山 宿

さかる 鈴鹿すずかくもる あいの土山つちやま あめる」——とうげのこちらとこうで、天気がわります。

いまのことば

土山つちやまは東海道の四十九番目の宿場。
鈴鹿すずかとうげえた近江おうみがわの、最初さいしょの宿だった。

歌で覚える、天気のしくみ

広重がこの宿にあたえただいは「春之雨はるのあめ」。はしわた行列ぎょうれつあめたれている一枚です。っているのは、ただのあめではありません。土山つちやまらしいあめなのです。

うまいてはこ馬子まごたちのうたに、こうあります——さかる 鈴鹿すずかくもる あいの土山つちやま あめる」坂下さかのしたとうげひがし)はれ、鈴鹿すずかとうげくもり、とうげえた土山つちやまではあめ同じ日の同じ道で、天気が三だんわる。

なぜそうなるのか。やま空気くうきながれをせきめるからです。風上かざかみ風下かざしもで、くものでき方がわる。気象きしょうという言葉ことばらない時代じだいに、馬子まごたちは毎日まいにちとうげえながら、その仕組しくみをふしにのせておぼえていたのです。科学かがくあつか観察かんさつ原点げんてんが、仕事しごとうたの中にあります。

土山つちやま平安へいあんむかしから、伊勢参宮いせさんぐうの道が鈴鹿すずかとうげえるようになって以来いらい難所なんしょをひかえた宿としてそだった町です。一八四三年の『東海道宿村大概帳しゅくそんだいがいちょう』では、家数いえすう三百五十一けん人口じんこう千五百五人、本陣ほんじんけん旅籠屋はたごや四十四けん日坂にっさかとならぶ「とうげ番人ばんにん」の宿でした。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——明治めいじ元年がんねん東京とうきょうかう途中とちゅう明治天皇めいじてんのうは、この土山つちやま宿にまりました。ちょうどその日がまん十六さい誕生日たんじょうびで、本陣ほんじん第一回だいいっかい天長節てんちょうせつ天皇てんのう誕生日たんじょうびいわい)おこなわれました。街道の宿が、あたらしい祝日しゅくじつ最初さいしょ舞台ぶたいになったのです。
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