東海道・府中宿
徳川家康が晩年を過ごした城の町。東海道で最も大きな宿場の一つでした。
お子さんと保護者の方へ。東海道・府中宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の府中宿とは?
府中は東海道の十九番目の宿場。
城下町・駿府の一角を成していた。
城下町・駿府の一角を成していた。
城下町のなかの宿場
府中は駿府の町の一部でした。岡崎のところで見たとおり、宿場の規模は府中が東海道で最大級、岡崎がそれに次ぐ。どちらも城下町です。大きな町があるところに、大きな宿場がある。
広重の題は「安部川」(安倍川)。ここも橋のない川で、人の肩や輦台で渡りました。島田・金谷の大井川と同じ仕組み。駿河には、橋のない大きな川が二つあったことになります。
駿府は、将軍を退いた家康が住んだ町としても知られます。江戸と京のあいだに、もう一つの政治の中心があった時期。東海道が整えられた背景には、そういう事情もありました。
考えてみよう
- 問一大きな町ができる条件を、三つ挙げてみましょう。
- 問二地図で安倍川と大井川を探し、川幅を比べてみましょう。
- 問三あなたの町が大きくなった理由を調べてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——「府中」は国府の置かれた町という意味の普通名詞) で、全国に同じ地名があります。だから東海道の府中は、のちに静岡と名を改めました。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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