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東海道・金谷宿

川かわを渡わたりきったところ。ここから先さきは、牧之原まきのはらの台地だいちが迫せまります。

お子さんと保護者の方へ。東海道・金谷宿を、いっしょに確かめましょう。

いまのことば

東海道の金谷宿とは?

金谷かなやは東海道の二十四番目の宿場。
遠江国とおとうみのくにの最もっとも東ひがしの宿場町しゅくばまち。

岸のもう一方

金谷かなやは大井川おおいがわの右岸うがん(京都きょうと側がわ)にあります。島田と同おなじく、川止かわどめのときは旅人たびびとであふれました。違ちがうのは、背後はいごに牧之原台地まきのはらだいちが迫せまる狭せまい土地とちだったこと。広ひろがる余地よちが少すくない宿場しゅくばでした。

金谷かなやを出でると金谷坂かなやざかの上のぼりが待まっています。川かわを渡わたった直後ちょくごに坂さか。そしてその先さきには日坂の小夜さよの中山なかやまが控ひかえている。東海道とうかいどうの中盤ちゅうばんは、難所なんしょが続つづけて並ならぶ区間くかんです。

牧之原台地まきのはらだいちは、明治めいじ以降いこうに茶ちゃの産地さんちとして開ひらかれました。いま旧きゅう東海道とうかいどうを歩あるくと、両側りょうがわは茶畑ちゃばたけです。日坂のあたりも同おなじ風景ふうけい。難所なんしょだった土地とちが、いまは茶ちゃの名産地めいさんちになっています。

考えてみよう

  • 問一川かわの右岸うがん・左岸さがんの決きめ方かたを調しらべてみましょう。
  • 問二土地とちが狭せまい町まちは、どんな工夫くふうをするでしょう。
  • 問三茶ちゃが台地だいちで育そだてられる理由りゆうを調しらべてみましょう。

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——島田しまだと金谷かなやは、いまは同おなじ島田市しまだしです。川かわで分わかれていた二ふたつの町まちが、橋はしができて一ひとつになった——道みちの歴史れきしは、町まちの形かたちを変かえていきます。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。

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