東海道・平塚宿
田のあぜを縫うようにのびる一本道。広重が描いたのは、そのまっすぐさでした。
お子さんと保護者の方へ。東海道・平塚宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の平塚宿とは?
平塚は東海道の七番目の宿場。
広重が与えた題は「縄手道」。
広重が与えた題は「縄手道」。
まっすぐな道が語ること
「縄手」は田の中をまっすぐ通る道のこと。岡崎の二十七曲りとは正反対です。守る必要のない平地では、道はまっすぐ引かれる——道の形は、その土地の事情を正直に映します。
絵の奥には丸い山が描かれています。高麗山と呼ばれる低い山で、平塚のあたりの目印になっていました。平地では、小さな山でもよく目立ちます。
宿場の間隔も、このあたりは短めです。藤沢・平塚・大磯と続き、そのあと小田原まで少し間が空く。箱根の手前で体力を整える並びになっています。
考えてみよう
- 問一まっすぐな道と曲がった道。それぞれの利点を書き出してみましょう。
- 問二平地で目印になるものを、身のまわりから三つ探してみましょう。
- 問三地図で藤沢から小田原までの宿場の間隔を測ってみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——次の大磯までは、東海道で最も短い区間のひとつです。宿場が近いということは、そこに止まる理由があったということ。次のページで、その理由を見てみましょう。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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