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五十二

百 人 一 首 ・ 五 十 二 番 藤原道信朝臣ふぢはらのみちのぶあそん

明けぬれば くるるものとは 知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかなあけぬれば くるるものとは しりながら
なほうらめしき あさぼらけかな

いまのことば

ければ、またれてえると
かってはいるけれど、
それでもやはりうらめしい、この夜明よあけです。

ことばの景色

かってはいる。それでも」——このかまえが一首いっしゅ骨組ほねぐみです。理屈りくつでは納得なっとくしている。けれど気持きもちは納得なっとくしない。あたまこころちが瞬間しゅんかんを、そのままいた

あさぼらけ」はがほのぼのけるころ。三十一番ではゆきらすうつくしい時間じかんでした。おな時刻じこくが、場面ばめんによってうつくしくもうらめしくもなる三十番の「あかつき」もあわせてむと、平安へいあんひとがたをどれだけ大切たいせつかんじていたかがえてきます。

作者さくしゃ藤原道信ふじわらのみちのぶ中古三十六歌仙ちゅうこさんじゅうろっかせんのひとり。太政大臣だじょうだいじん藤原為光ふじわらのためみつの三なんで、左近衛中将さこんえのちゅうじょうまですすみました五十一番実方さねかたおな役職やくしょく宮中きゅうちゅうおな場所ばしょっていた人たちです。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——平安へいあんこいは、よるってがたわかれるのが普通ふつうでした。だから和歌わかには、夜明よあけをうらうたがたくさんあります。時代じだいらしかたが、うた題材だいざいめていたのです。
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