CCN 寺子屋
国語の間へ戻る
十一

故 事 成 語 ・ 十 一

心配しんぱいしすぎたひとはなし。ただし、このはなしにはつづきがあります。
列子れっし』より

いまのことば

しなくてよい心配しんぱいのこと。苦労ぐろう
」はくに名前なまえ、「ゆう」は心配しんぱいすること。

ことばの景色

というくにに、そらちてきてどころがなくなるのではないかと心配しんぱいし、べることもねむることもできなくなったひとがいました。それを心配しんぱいしたひと説明せつめいきます。「そらあつまったもの。ちてはこない」——そういて、そのひとはやっと安心あんしんしました。

ここでわれば「無用むよう心配しんぱい」のはなしです。けれど『列子れっし』にはさらにべつひとあらわれて、「天地てんちがいつかこわれないとはれない」とべる場面ばめんつづきます。つまり、わらってわりのはなしではないのです。

心配しんぱいするな」とるのではなく、「からないことはからない」といておく——『列子れっし』は、道家どうか系統けいとうかぞえられる書物しょもつです。おなながれの『荘子そうじ』からは井の中の蛙朝三暮四まれました。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——そらちてくるかを本気ほんきかんがえるのは、いまでえば天文学てんもんがく入口いりぐちでもあります。科学かがくには、江戸えどひとそらたしかめるためにつくった反射望遠鏡はんしゃぼうえんきょうはなしがあります。
前へ次へ