東海道・保土ヶ谷宿
江戸を出て四つ目。ここで武蔵国が終わります。
お子さんと保護者の方へ。東海道・保土ヶ谷宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の程ヶ谷宿とは?
保土ヶ谷は東海道の四番目の宿場。
東海道で武蔵国の最も西の宿場町だった。
東海道で武蔵国の最も西の宿場町だった。
国の境を数える
東海道を歩くとは、国をいくつも越えることでもありました。武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・伊勢・近江・山城。五百キロの道で、十の国を通り抜けます。
保土ヶ谷はその最初の境目、武蔵の西のはずれ。次の戸塚からは相模国です。広重の題は「新町橋」——橋が描かれています。国の境には、たいてい川があります。
「程ヶ谷」とも書きました。同じ宿場に複数の表記があるのは珍しくありません。鞠子が「丸子」、新居が「荒井」と書かれることもある。地名の表記が固まるのは、案外新しいことです。
考えてみよう
- 問一地図で、東海道が通る十の国をたどってみましょう。
- 問二国や県の境が川や山になるのは、なぜでしょう。
- 問三あなたの町の地名に、別の書き方はありますか。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——旧国名は、いまも身のまわりに残っています——武蔵野、相模湾、駿河湾、伊勢湾。道を歩くと、地名の意味がつながってきます。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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