東海道・袋井宿
江戸から数えても二十七番目。京から数えても二十七番目。五十三の宿場の、ちょうど真ん中です。
お子さんと保護者の方へ。東海道・袋井宿を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
東海道の袋井宿とは?
袋井は東海道の二十七番目の宿場。
五十三次の中間点にあたる。
五十三次の中間点にあたる。
まん中は、あとから生まれた
五十三の宿場を江戸から数えると、袋井は二十七番目。京から数えても、五十三から二十七を引いて一を足せば、やはり二十七番目。どちらから数えても同じ数になる宿場は、ここだけです。
ところが面白いことに、袋井は最初から宿場だったわけではありません。はじめ掛川宿の次は見附宿や浜松宿でしたが、掛川と見附のあいだが長く、しかも中間の原野谷川がたびたび氾濫して道が止まりました。そこで他の宿場より少し遅れて、元和二年(一六一六年)までに整備されたのです。
つまり「まん中」は、計画して作られたのではありません。川の氾濫という事情が一つ宿を足させ、その結果、たまたま数の真ん中に収まった。地図の上のきれいな数字の裏には、たいてい事情があります。
広重がこの宿に与えた題は「出茶屋ノ図」。出茶屋は道ばたに出した簡単な茶屋です。別の版では題が「名物遠州だこ」——体育の間・凧揚げで扱った、あの凧です。街道の名物は、その土地の遊びでもありました。
考えてみよう
- 問一五十三を二つに分けると、まん中は何番目になりますか。計算して確かめてみましょう。
- 問二あなたの通学路の「ちょうど半分」は、どこでしょう。歩数で測ってみましょう。
- 問三計画していないのにちょうどよくなった、という例を探してみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——袋井の周りには遠州三山をはじめ歴史のある寺社が点在し、その門前町としても栄えました。藤沢と同じで、宿場の力は街道だけで決まるものではありません。
原文について
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『東海道五十三次』は、江戸時代の五街道のひとつ。宿場や道中の様子は、当時の道中記や名所図会に記録されています。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『東海道名所図会』で画像を見られます。
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