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十八

東 海 道 ・ 川 崎 宿

かつてここには、江戸の三大橋のひとつが架かっていました。広重が描いたのは、その橋が去ったあとの川——六郷ろくごうの渡しです。

いまのことば

川崎かわさきは東海道の二番目の宿場。
多摩川の下流「六郷ろくごう川」を、旅人は舟でわたった。

橋と川の二百年

慶長けいちょう五年(一六〇〇年)、徳川家康とくがわいえやす六郷ろくごうに大橋を架けさせました。千住大橋せんじゅおおはし両国橋りょうごくばしとならぶ江戸の三大橋です。ところが貞享じょうきょう五年(一六八八年)の洪水こうずいで流されたあと、橋は再建さいけんされませんでした。かわりに置かれたのが六郷ろくごうの渡し」——広重が描いたのは、この舟です。

橋がなければ、川はそのまま関所の働きをします。増水ぞうすいすれば舟は出ない。旅人は宿に足止めされ、宿場はうるおい、そのぶん先の予定は動く。わたし場は、川の機嫌きげん経済けいざいが動く場所でした。橋のない大河という点では、大井川川留かわどめと同じ仕組しくみです。

川崎かわさきは、はじめから宿場だったわけではありません。品川しながわ神奈川かながわあいだが長く、両宿の負担ふたんが重くなったため、元和げんな九年(一六二三年)に幕府ばくふ川崎かわさき宿の設置せっちを命じました。できたあとも伝馬てんま負担ふたんは重く、宿の役人が幕府ばくふ窮状きゅうじょううったえ出たこともあります。

それでも川崎かわさきには強みがありました。川崎かわさき大師だいしへの参詣道さんけいみちが分かれる場所だったことです。街道の旅人と参詣さんけいの客がかさなるかどに立った茶屋ちゃや万年屋まんねんや」は、本陣ほんじんをしのぐと言われるほどさかえました。道が交わる場所に、商いは立つ。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——六郷ろくごうにふたたび橋が架かるのは明治に入ってからです。一八七四年(明治七年)、地元の人が私費しひで木の橋を架けましたが、四年後の洪水こうずいで流されました。その後もけては流され、けては流され——いまの六郷ろくごう橋は、その何代なんだいあと姿すがたです。
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