七十
百 人 一 首 ・ 七 十 番 良暹法師
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづくも同じ 秋の夕暮さびしさに やどをたちいでて ながむれば
いづくもおなじ あきのゆふぐれ
いまのことば
ひとりでいるのに耐えかねて、庵を出て
あたりを見わたしてみると——
どこも同じだった。秋の夕暮れは。
ことばの景色
外に出たのに、何も変わらなかった——その落着き方が、この歌の味わいです。普通なら「外に出たら気が晴れた」と書きたくなる。そこを、あえて「いづくも同じ」で止めた。
けれども読み方は一つではありません。「どこも同じ」は、「自分だけが特別ではない」という発見でもある。二十三番の「わが身ひとつの秋にはあらねど」と同じ気づきです。
作者の良暹法師は比叡山の僧で、のちに大原に隠れ住んだと伝わります。大原は京の北の山あいの里。実際にひとりで住んでいた人の歌として読むと、「いづくも同じ」の静けさが深くなります。
考えてみよう
- 問一気が晴れないとき、外に出るとどうなりますか。試して書いてみましょう。
- 問二「どこも同じ」は、寂しい言葉でしょうか。それとも安心する言葉でしょうか。
- 問三秋の夕暮れを実際に見て、色の変わり方を書き留めてみましょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——「秋の夕暮れ」で終わる歌は、『新古今和歌集』に三首並んで有名です(三夕の歌)。この七十番は『後拾遺集』の歌ですが、同じ結び方が後の時代に受け継がれていきました。