百人一首・二十三番 大江千里
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねどつきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
わが身ひとつの 秋にはあらねどつきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
お子さんと保護者の方へ。百人一首・二十三番 大江千里を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
月見れば千々に物こそ悲しけれの意味は?
月を見ていると、あれこれと際限なく、もの悲しくなる。
秋は、私ひとりのために来たのではないけれど。
秋は、私ひとりのために来たのではないけれど。
ことばの景色
秋の月を見上げて、なぜか自分だけが世界のさびしさを引き受けたような気持ちになる——でも理性では分かっている。「秋はみんなに平等に来ている」。感情と理性が、ひとつの歌の中で言い合いをしています。
「千々(ちぢ)」と「ひとつ」。数の対比が効いています。悲しみは千々に乱れ、自分はひとり。大勢の中の孤独、という現代的な感覚を、千年前の歌人がすでに言い当てました。
落ち込んだ夜、「自分だけじゃない」と分かっていても気持ちが晴れない——あの感じを、これほど正確に写した三十一文字はありません。
考えてみよう
- 問一「頭では分かっているのに、気持ちがついてこない」経験を、言葉にしてみましょう。
- 問二月はなぜ、人をもの思いにさせるのだと思いますか(七番の「天の原」とも比べて)。
- 問三この歌を、いまのSNSの投稿風に言い換えると、どうなるでしょう。
答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。
豆知識——大江千里(おおえのちさと)は漢学者の家の生まれで、この歌も中国の詩人・白居易の詩句をふまえています。海外の名文を、和歌に翻訳して自分のものにする——温故知新の見本のような一首です。
原文について
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『小倉百人一首』は、鎌倉時代に藤原定家が選んだとされる和歌集。江戸時代に版本・かるたとして広まりました。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『百人一首抄』で画像を見られます。
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