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九十八

百 人 一 首 ・ 九 十 八 番 従二位家隆じゆにゐいへたか

風そよぐ なら小川おがわの 夕ぐれは
みそぎぞ夏の しるしなりけるかぜそよぐ ならのをがはの ゆふぐれは
みそぎぞなつの しるしなりける

いまのことば

かぜならをそよがせる、小川おがわのほとりの夕暮ゆうぐれは
もうあきのようだけれど——
みそぎおこなわれているのが、まだなつであることのしるしなのだ。

ことばの景色

あきえるけれど、まだなつ——季節きせつ境目さかいめんだうたです。あき。けれど行事ぎょうじなつだとおしえてくれる。こよみ体感たいかんがずれるとき、ひと行事ぎょうじがかりにする

みそぎ」はここでは六月みなづきばらえ——なつわりに半年はんとしのけがれをはら行事ぎょうじ生物せいぶつなつ七十二候しちじゅうにこうたとおり、こよみうえ季節きせつと、はだかんじる季節きせつはよくずれます

作者さくしゃ藤原家隆ふじわらのいえたか九十七番藤原定家ふじわらのていかならしょうされた歌人かじん。『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』の撰者せんじゃ一人ひとりでもあります。定家ていか自分じぶん好敵手こうてきしゅうたを、自分じぶんつぎつぎいたことになります。

考えてみよう

答えはひとつではありません。声に出して、外に出て、確かめながらどうぞ。

豆知識——なら小川おがわ」は、京都きょうと上賀茂神社かみがもじんじゃながれる御手洗川みたらしがわのこととされます。うたまれた小川おがわが、いまもおな場所ばしょながれている百人一首ひゃくにんいっしゅ地図ちずたのしみは、ここにもあります。
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