二編
学 問 の す ゝ め ・ 二編 人は同等なること
ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。—— 福澤諭吉『学問のすゝめ』二編より
いまのことば
字が読めることと、学問があることは、別のもの。
学問とは、物事の道理をわきまえ、人としての務めを知ることである。
きょうの暮らしでいうと
本をたくさん読んでいるのに、どこか困った人——福澤は、そういう「文字の問屋」になるなと言います。文字は道具であって、目的ではないからです。
この編の題は「人は同等なること」。人と人は、権利において対等だと説きます。ただし福澤は正直です。対等なのは「権利」であって、「有様」ではない。実際の暮らしには差がある。その差を埋める道具が学問だ、と初編の主張をもう一段深めます。
読める・知っているで終わらせず、道理がわかって、人の務めが果たせるようになってはじめて学問——テストの点数と本当の学力の違いを、150年前に言い当てています。
考えてみよう
- 問一「知っているのに、できない」ことには、どんな例がありますか。
- 問二権利が対等ということと、結果に差があるということ。両方を認めると、何が見えてきますか。
- 問三文字(読み書き)を「道具」として使えている実感はありますか。
答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。
豆知識——この編には「権理通義」という言葉が出てきます。英語の right(ライト)の訳語で、いまの「権利」のもとになった言葉のひとつです。日本語の基本語彙が、この本から生まれていきました。