二十六
実 語 教 ・ 第 二十六 句
はっしょうどうは ひろしと いえども八正道は広しと雖も
じゅうあくの ひとは ゆかず十悪の人は往かず
むいの みやこは たのしむと いえども無為の都は楽しむと雖も
ほういつの ともがらは あそばず放逸の輩は遊ばず
原文 八正道雖広 十悪人不往 無為都雖楽 放逸輩不遊
いまのことば
正しい道は広く開かれているのに、悪い行いを重ねる人はそこを歩かない。
安らかな場所は楽しいのに、なまけてばかりの人はそこへたどり着けない。
きょうの暮らしでいうと
この句の急所は「道が狭いから行けない」のではない、というところです。道は広い。開いている。でも、自分で選ばなければ、歩けない。
よい道は、いつでもだれにでも開かれています。あいさつをする、宿題をやる、うそをつかない。どれも今日から歩ける広い道です。歩かないのは、道のせいではなく、選ばなかっただけ。
「放逸(ほういつ)」は、やるべきことを放り出して流されること。ゲームやスマホと上手につきあえているか——千年前の言葉が、今日の自分にそのまま刺さります。
考えてみよう
- 問一「開かれているのに歩いていない道」が、あなたにもありますか。
- 問二「流されている時間」と「自分で選んだ時間」。今日はどちらが多かったでしょう。
- 問三明日、自分で選んで歩く道をひとつ決めるなら、何にしますか。
答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。
豆知識——八正道は、正しく見る・正しく語る・正しく行うなど、八つの正しい道のこと。「無為の都」は安らぎの境地を都にたとえた言葉です。実語教の仏教の言葉はこの句のあたりで終わり、次からはふたたび身近な教えに戻ります。