実語教・第十四句
しに あうと いえども まなばざれば師に会うと雖も学ばざれば
いたずらに いちびとに むかうが ごとし徒に市人に向かうが如し
原文 雖会師不学 徒如向市人
お子さんと保護者の方へ。実語教・第十四句を、いっしょに確かめましょう。
いまのことば
師に会うと雖も学ばざればの意味は?
よい先生に出会っても、自分が学ばなければ、
町ですれちがう人と向き合っているのと変わらない。
町ですれちがう人と向き合っているのと変わらない。
きょうの暮らしでいうと
「市人(いちびと)」は、市場にいる通りすがりの人のこと。どんなにすばらしい先生の前にいても、自分に学ぶ気がなければ、その人はただの通行人と同じだ——手きびしい句です。
逆に言えば、こうなります。先生を「先生」にするのは、教わる側の心だということ。同じ授業を受けても、たくさん持ち帰る人と、何も持ち帰らない人がいるのは、ここが違うからです。
そしてもうひとつ。学ぶ心さえあれば、先生は学校の中だけにいるとはかぎりません。友だちも、家族も、町の大人も、先生になり得ます。
考えてみよう
- 問一同じ話を聞いても、人によって持ち帰るものが違うのは、なぜでしょう。
- 問二学校の先生以外で、あなたに何かを教えてくれた人はいますか。
- 問三「教わる名人」になるとしたら、どんなことを心がけますか。
答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。
豆知識——寺子屋の師匠は、僧侶・浪々の武士・医者・商人の隠居など、さまざまな人が務めました。町じゅうの大人が、入れかわり子どもの先生になっていたのです。
原文について
この記事が扱っている『実語教』は、平安末から鎌倉期に成立したとされる教訓書。江戸の寺子屋でもっとも広く使われた教科書のひとつです。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『実語教』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
この記事が扱っている『実語教』は、平安末から鎌倉期に成立したとされる教訓書。江戸の寺子屋でもっとも広く使われた教科書のひとつです。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『実語教』で画像を見られます。
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