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十四

実 語 教 ・ 第 十四 句

しに あうと いえども まなばざれば師に会うと雖も学ばざれば
いたずらに いちびとに むかうが ごとし徒に市人に向かうが如し

原文 雖会師不学 徒如向市人

いまのことば

よい先生に出会っても、自分が学ばなければ、
町ですれちがう人と向き合っているのと変わらない。

きょうの暮らしでいうと

「市人(いちびと)」は、市場にいる通りすがりの人のこと。どんなにすばらしい先生の前にいても、自分に学ぶ気がなければ、その人はただの通行人と同じだ——手きびしい句です。

逆に言えば、こうなります。先生を「先生」にするのは、教わる側の心だということ。同じ授業を受けても、たくさん持ち帰る人と、何も持ち帰らない人がいるのは、ここが違うからです。

そしてもうひとつ。学ぶ心さえあれば、先生は学校の中だけにいるとはかぎりません。友だちも、家族も、町の大人も、先生になり得ます。

考えてみよう

答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。

豆知識——寺子屋の師匠は、僧侶・浪々の武士・医者・商人の隠居など、さまざまな人が務めました。町じゅうの大人が、入れかわり子どもの先生になっていたのです。
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