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実語教・第五句

たま みがかざれば ひかり なし玉磨かざれば光無し
ひかり なきを いしかわらと なす光無きを石瓦とす

原文 玉不磨無光 無光為石瓦

いまのことば

玉磨かざれば光無しの意味は?

宝石も、磨かなければ光らない。
光らなければ、石ころや瓦と変わらない。

きょうの暮らしでいうと

掘り出したばかりの宝石は、じつは、ただの石ころのように見えます。磨かれてはじめて、あの光が出ます。

ピアノも、サッカーも、漢字も、九九も同じです。「才能がある」だけでは、まだ磨く前の玉。練習という磨き粉でこすった分だけ、光っていきます。

裏返せば、いま光っていなくても、あわてなくて大丈夫です。磨けば光る玉を、だれもが持っています。どの玉を、いつから磨き始めるか——それは自分で決められます。

考えてみよう

答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。

豆知識——「玉磨かざれば光無し」は、中国の古典『礼記らいき』の「玉琢かざれば器を成さず」と響き合う言葉です。日本ではこの実語教じつごきょうの形で広まり、ことわざのように今も使われています。千年前の教室の言葉が、いまも生きている例のひとつです。
原文について
この記事が扱っている『実語教』は、平安末から鎌倉期に成立したとされる教訓書。江戸の寺子屋でもっとも広く使われた教科書のひとつです。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『実語教』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
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