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第二十章

童 子 教 ・ 第二十章 無常のことわり

じゅみょうは ふゆうの ごとし あしたに しょうじ ゆうべに しす寿命は蜉蝣の如し、朝に生じ夕に死す

原文 寿命如蜉蝣 朝生夕死矣

この章の本文(第133対句〜第150対句)

いまのことば

命は、朝生まれて夕方には終わるかげろうのようにはかない。
着飾るものも、お金も、地位も、あの世まで持ってはいけない。

きょうの暮らしでいうと

童子教の終盤は、トーンが変わります。会う者は必ず別れ、生きる者は必ず終わる。美しい着物も黄金も官位も「冥途の貯へ」にはならない——実語教三句「富は一生の財」を、命の視点からもう一度深く言い直します。

子どもの教科書に、ここまで正面から「限り」を書くのかと驚くかもしれません。でも、限りがあると知っている人だけが、今日を大切にできる。はかなさの自覚は、暗さではなく、今日への集中を生むのです。

体は芭蕉の葉のように破れやすく、命はかげろうのよう。だからこそ、消えないもの——学んだ智、行った善、人に残した恩——に時間を使え。全編の教えが、ここでひとつに束ねられます。

考えてみよう

答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。

豆知識——「会者定離」「生者必滅」は、平家物語の「祇園精舎の鐘の声」と同じ無常観の言葉です。かげろう(蜉蝣)は実際に成虫の命が一日ほどしかない昆虫。たとえではなく、本当に朝生じて夕に死ぬ生きものです。
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