第九章
童 子 教 ・ 第九章 生れながらに貴き者なし
うまれながらにして たっとき もの なし ならい しゅうして ちとくと なる生れながらにして貴き者無し、習ひ修して智徳と成る
原文 生而無貴者 習修成智徳
この章の本文(第48対句〜第53対句)
- 神明罰愚人 非殺為令懲神明(しんめい)愚人を罰す 殺すにあらず懲(こ)らさしめんが為なり
- 師匠打弟子 非悪為令能師匠弟子を打つ 悪(にく)むにあらず能(よ)からしめんが為なり
- 生而無貴者 習修成智徳生れながらにして貴(たつと)き者無し 習ひ修(しゆ)して智徳と成る
- 貴者必不冨 冨者未必貴貴(たつと)き者は必ず冨めず 冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
- 雖冨心多欲 是名為貧人冨むと雖(いへど)も心に欲多ければ 是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
- 雖貧心欲足 是名為福人貧しと雖(いへど)も心足(た)んぬと欲(ほつ)せば 是(これ)を名づけて福人(ふくじん)とす
いまのことば
生まれつき偉い人など、いない。
学び、修めることで、人は智と徳を身につけていく。
きょうの暮らしでいうと
実語教の芯とまったく同じ宣言が、童子教にもあります。生まれではなく、習い修めたかどうか。身分制の時代に、子どもの教科書がこれを言い続けていました。
この章にはもうひとつ、大切な対句があります。「冨むと雖も心に欲多ければ、これを貧人とす。貧しと雖も心足んぬと欲せば、これを福人とす」——いくら持っていても、もっともっとと欲しがる人は貧しい人。持っていなくても、足るを知る人は福のある人。
お金の章(実語教三〜十句)の結論を、心の側から言い直した形です。豊かさは、財布ではなく心の設定で決まる、と。
考えてみよう
- 問一「足りている」と感じられた瞬間を、思い出せますか。
- 問二欲が向上心になるときと、心を貧しくするとき。分かれ目はどこでしょう。
- 問三師匠や先生に叱られたことが、あとで「為だった」と分かった経験はありますか。
答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。
豆知識——「神明愚人を罰す、殺すにあらず懲らさしめんが為なり。師匠弟子を打つ、悪むにあらず能からしめんが為なり」——罰も叱責も、憎しみではなく育てるため。ただし現代では、体罰によらない育て方が原則です。この句は「叱る側の心のあり方」の教えとして読み継がれています。