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第九章

童子教・第九章 生れながらに貴き者なし

うまれながらにして たっとき もの なし ならい しゅうして ちとくと なる生れながらにして貴き者無し、習ひ修して智徳と成る

原文 生而無貴者 習修成智徳

この章の本文(第48対句〜第53対句)

いまのことば

童子教 第九章の教えは?

生まれつき偉い人など、いない。
学び、修めることで、人は智と徳を身につけていく。

きょうの暮らしでいうと

実語教じつごきょうの芯とまったく同じ宣言が、童子教どうじきょうにもあります。生まれではなく、習い修めたかどうか。身分制の時代に、子どもの教科書がこれを言い続けていました。

この章にはもうひとつ、大切な対句があります。「冨むと雖も心に欲多ければ、これを貧人とす。貧しと雖も心足んぬと欲せば、これを福人とす」——いくら持っていても、もっともっとと欲しがる人は貧しい人。持っていなくても、足るを知る人は福のある人。

お金の章(実語教じつごきょう三〜十句)の結論を、心の側から言い直した形です。豊かさは、財布ではなく心の設定で決まる、と。

考えてみよう

答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。

豆知識——「神明愚人を罰す、殺すにあらず懲らさしめんが為なり。師匠弟子を打つ、悪むにあらず能からしめんが為なり」——罰も叱責も、憎しみではなく育てるため。ただし現代では、体罰によらない育て方が原則です。この句は「叱る側の心のあり方」の教えとして読み継がれています。
原文について
この記事が扱っている『童子教』は、実語教と対で使われた教訓書。江戸の寺子屋の定番でした。
原本(江戸期などの版本)は、国立公文書館 デジタルアーカイブ『童子教』で画像を見られます。
このページの現代語訳・解説・設問は、株式会社士心が作成したものです。特定の校訂本にもとづくものではありません。 表記や区切り方は、読みやすさのために整えています。原文にあたるときは、上の所蔵先でお確かめください。
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