第六章
童 子 教 ・ 第六章 禍も福も、自分が招く
かふくは もん なし ただ ひとの まねく ところに あり禍福は門無し、唯人の招く所に在り
原文 禍福者無門 唯人在所招
この章の本文(第26対句〜第33対句)
- 禍福者無門 唯人在所招禍福は門無し 唯(ただ)人の招く所に在り
- 天作災可避 自作災難逃天の作(な)せる災は避(のが)るべし 自(みづか)ら作(な)す災は逃(のが)れ難し
- 夫積善之家 必有余慶矣夫(そ)れ積善(しやくぜん)の家には 必ず余慶有り
- 亦好悪之処 必有余殃矣亦(また)悪を好むの処(ところ)には 必ず余殃(よあう)有り
- 人而有陰徳 必有陽報矣人として陰徳有れば 必ず陽報有り
- 人而有隠行 必有照名矣人として隠行(いんぎやう)有れば 必ず照名有り
- 信力堅固門 災禍雲無起信力(しんりき)堅固の門(かど)には 災禍の雲起ること無し
- 念力強盛家 福祐月増光念力強盛(ごうせい)の家には 福祐の月光を増す
いまのことば
幸せにも不幸にも、決まった入口はない。
どちらも、自分の行いが招き入れている。
きょうの暮らしでいうと
運がいい、運が悪い——私たちはつい「運」のせいにします。童子教は言い切ります。禍にも福にも門はない。招いているのは自分だと。
「積善の家には必ず余慶有り」——善を積み重ねる家には、幸せの余りものまでやってくる。実語教三十四句の「影」のたとえと同じ考え方です。人知れず良いことをすれば(陰徳)、必ず表に報いが出る(陽報)。
天災は避けようがある。でも自分がまいた種の災いは逃れられない——「自業自得」の考え方が、子ども向けの教科書にきちんと書かれていました。運を嘆く前に、自分の行いを見よ、と。
考えてみよう
- 問一「運が悪かった」と思った出来事を、行いの面から見直すと何か見えますか。
- 問二人知れずやった良いことが、あとで返ってきた経験はありますか。
- 問三「全部自分のせい」と考えすぎるのも危うい気がします。どこで線を引きましょう。
答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。
豆知識——「禍福門無し、唯人の招く所」は中国の古典『春秋左氏伝』の言葉です。童子教は、論語・左伝・仏典など、当時の教養の源泉から名句を集めて編まれた、いわば千年前のアンソロジーでもあります。