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江 戸 の 科 学 ・ 九

百万都市・江戸の弱点は、飲み水でした。多摩川の水を、およそ43キロ先の江戸まで——ポンプなしで流しきった大工事の物語です。

いまのことば

玉川上水は、羽村はむらで多摩川から取水し、江戸まで約43キロを流した水路。
使える高低差はわずか。精密な測量が、水だけの力で水を運んだ。

傾きの設計

江戸の町は海に近く、井戸を掘っても塩気の水。そこで幕府は多摩川の水を引くことにします。承応年間(1653〜54年ごろ)、玉川兄弟が請け負ったと伝わる工事は、羽村はむらの取水堰から四谷大木戸よつやおおきどまで約43キロを、おどろくべき速さで掘り抜きました。

難しさは距離より傾きです。使える高低差は全体でおよそ100メートル足らず。1キロあたり2メートルほどのゆるやかな下りを保ち続けないと、水は止まるかあふれる。夜、提灯の明かりで高さを測ったという逸話が残るほど、測量が命の工事でした。

完成した上水は、木の樋(とい)で町中に枝分かれし、江戸の井戸は「掘った井戸」ではなく「水道の水をためた井戸」になりました。百万都市は、この見えない水路が支えたのです。

考えてみよう

答えはひとつではありません。おうちの人と話しながら考えるのも、よい学び方です。

豆知識——玉川上水の一部は今も現役の導水路で、緑道として歩けます。江戸の測量技術は、のちの伊能忠敬いのうただたかの地図(科学の間・第八章)にもつながる、この国の「測る力」の伝統です。
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